秋。
短くなりはじめた日が西の空へ傾く。
敵地の偵察を済ませた小太郎が小田原の地へ戻ってきたのはそんな時刻だった。
山一つ駆け、木々の間を抜けた先に小田原の城が見えてくる。
堅城は橙色の光に包まれ、出立した時と同じ姿でそこにあった。
が、一つの違和感に小太郎は目を凝らす。

「……なんだ」

天守から繋がる屋根の上になにかが居る。いや、ある、というべきか。

「氏康を狙う忍びか…？」

歩を速めた小太郎は急ぎ天守へと駆け上がった。


　
「よぅ、お帰り」

天守閣へ到達した小太郎を出迎えたのは、城の主である北条氏康の呑気な声だった。

「うぬは何をしているのだ」
「お前が戻ってくるのを待ってたんだよ」
「屋根の上でか？」
「うるせぇな、色々あったんだ」

小太郎が見た違和感の正体は敵の忍びなどではなく、体面的には彼の主である氏康その人だった。
出立した時と同じ着流し姿で、何故か屋根の中腹に座り込んでいる。
少し寒そうに身をすくめている辺り、何時からそうしていたのだろうか。
小太郎は脱力しながらもぐるりと屋根を見回し、更に溜息をついた。

「うぬの言う色々とやらはソレか」

屋根の端に氏康が愛用している煙管が引っかかっている。

「落としちまって…取ろうとしたら更にあそこまで落ちちまって……」
「しかもうぬは戻るに戻れぬ状態になったと。クク…どこが色々なのだ」
「悪かったな」

ある程度、恥に思っているのか氏康は不貞腐れた様子で頭を掻いた。そして屋根の先を指差す。

「取ってくれ」
「造作もないことよ」

小手を一振りし煙管を確保すると小太郎は再び氏康を見た。

「…俺も拾い上げてくれるか」

立ち上がろうとする氏康を制止し、小太郎は問うた。

「氏康、なぜ初めから我を呼ばぬ」
「何故ってお前居なかったじゃねぇか。だいたい此れくらいのこと自分でどうにか…」
「どうにか？」

視線をぶつけると氏康は徐々に口篭った。
動きやすいとは言えない着流し姿のままで、命綱もつけず、一国の主があまりに軽率な行動ではないか。

「そんな責めんなよ。悪かった」
「もう幼子ではないのだ。うぬの体格で屋根の上は走り回れぬ」
「昔はお前の後を追っかけて屋根に上ったりしたもんだが…、そっか、もう無理か」
「屋根に上がりたくば我を呼べばよい」

どこか寂しげに呟く氏康を尻目に小太郎は天守の柵へと上がり、氏康の正面に位置づけた。

「こ、小太郎？」
「動くな」
「ま、待て！お前なにする……っ！」

思わず逃げようとする氏康を巻き込むようにして掴み上げ、腕の中に収めると、小太郎は天守から一気に地上へと飛び降りた。
腕の中であがった声にならない悲鳴が愉しくてたまらない。
地上に着地しても、腕の中の子犬は固まり尽くしたままだった。

「着いたぞ」
「……あ、あぁ」
「どうした、腰でも抜けたのか？」
「ど、ド阿呆！あんな助け方があるか！」
「掴み投げたのではうぬが壁を壊すであろう。倹約家の相模の獅子の意に反すると思うたまでのことよ」
「けっ、そりゃどうも。お、おい、何処行くんだ。下ろせよ」

氏康を抱き上げたまま、小太郎はすたすたと歩き始める。

「随分と体が冷えている。風呂に」
「ったく、過保護なオバケさんだぜ」



私の主は困ったお人

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